栗山公園調査:歴史調査

地域コミュニティづくりワーキンググループのテストケースでの公園プロジェクトとして開始された「栗山公園プロジェクト」についての第一期調査報告です。

歴史調査:その1

1)栗山公園以前の土地利用、環境調査

東京薬科大学の薬草園から、市管理の公園へ

東京薬科大学が1976年(昭和51年)に全学が八王子キャンパスに移転したタイミングでこの薬草園も売却されたようです。その詳細が市史編纂の会議での現代部会での活動として、同会議録に収録されていました。こちらより、同会議録をご覧いただけます。栗山公園に関する部分についての内容は以下の通りです。

●栗山公園

小金井市資料よりの内容は以下の通りです。

<平成24年度第3回市史編さん委員会議会議録より、栗山公園について>

栗山公園は、東京薬科大学が薬用植物園を処分することになり、民間が買収してマンションにするという話があり、市の財政状況では買えないので、東京都に代替取得してもらうよう交渉をしたようです。当時の美濃部都知事が環境問題に理解があり、価格交渉は市にまかされ、土地所収者の企業と交渉し、都が買収することになりました。

ただ、買収の条件として将来、市が都から買い戻す条件でした。都は、買収金の償還期限について市の債務負担行為として議会で議決した文書を提出して欲しいとのことでしたが、文書を出すと縛られるので、市長の印だけで契約したとのことです。市は年次償還計画を立てて、10 年かけて買い取りが終了したそうです。こうした経過で栗山公園が市の所有する公園として残ったようです。

会議録での東京薬科大学の薬用植物園が栗山公園となった経緯の要約は、上記のようなものでした。

三多摩問題研究会の活動は、野川の保全などでも知られている活動です。市内在住の元職員の矢間さんが活躍されたと聞いています。矢間さんへのインタビューは、こがねいコンパスのこちらの記事でも読むことができます。

同研究会は、都立中央図書館に資料があります。1970年に小金井司法研究会が立ち上げた研究会で設立には、当時、公害問題が全国的に露呈化したという歴史的背景がありました。当初のメンバーは、市の職員や都の職員、法学部の大学院生等だったようです。研究会で「野川」の汚染問題が取り上げられ、「野川問題研究班」が発足、市民の意向調査等を実施しました。この調査での市民の回答をきっかけに論文集「水辺の空間を市民の手に」が執筆、活字化され、出版されたと聞いています。

また、栗山公園の買収に関する詳細経緯は、市の資料や議事録にも掲載されている可能性があるので、より詳しく調べてみようと思います。東京薬科大学側での資料は、現在の薬草園には資料がなく、大学全体の沿革などの資料が総務課、史料館などにあるかもしれないので、直接問い合わせて、確認してみるつもりです。

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