栗山公園調査:植栽調査09 蔓植物編:その2「テイカカズラ」

健康運動センター北側通路のツタ植物の第二弾は、「定家葛、テイカカズラ」です。

本来は、西と東の端の2本のコンクリート柱に植栽されていたようですが、現在は、1本が枯れて、3本のみのようです。白い花弁の可憐な花はやはり、芳香があたりに漂うようです。

西側の1本の定家葛で、傍のフェンスにまで巻き付いて、伸びています

この向いの柱には、何もなく、多分枯れてそのままになっているようです。東側の端の2本は見事に咲き誇っています。

“栗山公園調査:植栽調査09 蔓植物編:その2「テイカカズラ」” の続きを読む

栗山公園調査:植栽調査08 蔓植物編:その1「カロライナジャスミン」

健康運動センター北側通路の蔦植物編の第一弾は、「カロライナ・ジャスミン」です。

ジャスミンというと「花と香りのジャスミン」という香水やジャスミン茶として知られるモクセイ科ソケイ属のジャスミンと勘違いされることが多いのですが、このカロライナジャスミンは、ゲルセミウム科またはマチン科の植物で全く違う品種です。北米南部からグアテマラ原産でアメリカのサウスカロライナ州の州花となっていることもあって、カロライナと名付けられています。ジャスミンのように芳香があり、花がきれいであるためにジャスミンと付けられましたが、特徴として、花、葉、茎、根全てに毒性がある品種であり、気をつけないといけない品種でもあります。園芸品種として、その繁殖力とあまり手入れがいらない特徴から、多くの場所で植栽されているのですが、まちがってもジャスミンと勘違いして、花や葉を使ってお茶などをいれたら大変なことになります。

“栗山公園調査:植栽調査08 蔓植物編:その1「カロライナジャスミン」” の続きを読む

栗山公園調査:植栽調査07「健康運動センター北側の蔓植物について」

今回は、健康運動センターの北側のスペースにコンクリートの柱を利用して、通路となっている場所に植栽されている蔓植物についての調査です。嘗ての公園の緑調査では、以下のように表示されているのですが、実際には、柱の数は、8本2列で16本のようです。

以前の緑調査での植栽情報

植物としては、「テイカカズラ」「ビナンカズラ」「メギ」「ジャスミン」「ツルウメモドキ」となっています。品種から見ると蔓性の植物というだけでなく、香りのする品種を選んで、植栽しているようでもあります。詳細は、通年の観察調査で順次ご紹介していきたいと考えています。

“栗山公園調査:植栽調査07「健康運動センター北側の蔓植物について」” の続きを読む

栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その3」

東薬会会報の「とうやく」297号の寄稿文に当時の小金井薬用植物園を読むの3回シリーズも最後の3回目になります。

今回の寄稿者は、この会報が発行された1983年当時に学長(昭和56年学長就任)だった宮崎利夫教授です。

氏は、当時の恩師の太田達男教授(昭和24年より東京薬科大学教授で昭和36年に死去)が微生物学と植物薬品化学を担当、薬草園長も兼任されていたため、昭和24年3月に大学卒業と同時に助手の辞令を受けて、附属薬用植物試験場担当兼務ということのなったと説明されています。当時の太田研究室には、黒須滋先生(昭和57年死去)が助教授、氏の1年先輩の宮村次郎氏が助手として在籍していたが、なんとかもう一名ということで薬草園も兼務するという名目で宮崎氏を採用されたそうです。そして、具体的な薬草園での作業などを語られています。その内容を以下に転載します。

“栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その3」” の続きを読む

栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その2」

前回から引き続き、東京薬科大学同窓会報の「とうやく」297号の小金井薬用植物園の想い出の寄稿文から、当時の植物園についてのご紹介をします。

2回目は、川瀬清名誉教授です。昭和に20年代後半から、30年代前半にかけて、植物園での想い出などのお話です。川瀬氏は、中医薬、漢方が専門で以下に簡単なプロフィールをご紹介します。

【略歴】

東京薬科大学名誉教授。1925年10月東京に生まれる。1945年9月東京薬学専門学校卒業。1947年3月東京帝国大学医学部薬学科専科(生薬学)修了(専27回)。1951年4月東京薬科大学助手。1962年4月東京薬科大学助教授。1975年4月東京薬科大学教授。1991年3月東京薬科大学名誉教授。日本薬史学会設立に参加。日本社会薬学会創設に参画。

寄稿文のタイトルは、「人生の多彩さを教えてくれた小金井薬草園」というものです。寄稿文の最初に昭和28年(1953年)当時だろう頃の植物園でのスナップ写真(ここでお見せできないのが残念です)を掲載し、そこに映っている方々の説明をされています。1953年当時としたら、川瀬氏は、大学助手の頃になります。以下にその部分を転載します。

“栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その2」” の続きを読む

栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その1」

歴史調査03でもお話したように東京薬科大の薬草園、グランウンド(球場)の歴史を知るには、大学の史料館では限界がありましたが、大学の同窓会の「東薬会」には、とうやく会報の「とうやく」という会報誌があることがわかりました。現在411号という歴史のある同窓会報で年3回、1月・5月・9月に発行されています。同大学の同窓会「東薬会」の公式サイト(こちら)にあった東薬会事務局に昨年末に連絡をしたところ、同窓生でないと事務局で会報を閲覧できないとのことでした。しかし、事務局の方のご厚意で、小金井の薬草園についての想い出などが投稿された号を探していただくことができました。

東薬会の公式サイト

今回は、その第1弾として、1983年の9月号No.297に掲載された「旧校地はいま(3)」という投稿をご紹介します。3本の投稿なので、3回に分けてご紹介します。その当時の薬草園とそこに関わった大学の方々の想いや周辺の地域のことなどが読み取れます。

“栗山公園:歴史調査04「東薬会会報を読む:その1」” の続きを読む