東薬会会報の「とうやく」297号の寄稿文に当時の小金井薬用植物園を読むの3回シリーズも最後の3回目になります。
今回の寄稿者は、この会報が発行された1983年当時に学長(昭和56年学長就任)だった宮崎利夫教授です。
氏は、当時の恩師の太田達男教授(昭和24年より東京薬科大学教授で昭和36年に死去)が微生物学と植物薬品化学を担当、薬草園長も兼任されていたため、昭和24年3月に大学卒業と同時に助手の辞令を受けて、附属薬用植物試験場担当兼務ということのなったと説明されています。当時の太田研究室には、黒須滋先生(昭和57年死去)が助教授、氏の1年先輩の宮村次郎氏が助手として在籍していたが、なんとかもう一名ということで薬草園も兼務するという名目で宮崎氏を採用されたそうです。そして、具体的な薬草園での作業などを語られています。その内容を以下に転載します。