栗山公園の歴史調査の第3弾です。
東京薬科大学の史料館の90年史から
東京薬科大のグラウンドから薬用植物園までの経緯
史料館で拝見した東京薬科大学の90年史に記載されている情報から、小金井校地として、栗山公園のあった場所は、昭和5年にグランドを購入しようとして選定されたいくつかの場所の一つだったようです。土地の選定は、昭和4年から、薬科大の前身のひとつ上野女子薬学校の初代校長だった、池口理事長や星野、小西理事が主体となって選定を行ったと記載されています。
栗山公園の歴史調査の第3弾です。
史料館で拝見した東京薬科大学の90年史に記載されている情報から、小金井校地として、栗山公園のあった場所は、昭和5年にグランドを購入しようとして選定されたいくつかの場所の一つだったようです。土地の選定は、昭和4年から、薬科大の前身のひとつ上野女子薬学校の初代校長だった、池口理事長や星野、小西理事が主体となって選定を行ったと記載されています。
正規の学習プログラムを設計していく上での試行錯誤として、記録していきます。
実際に咲いている寒椿を整備したり、育てていくのは、年間の課題なのですが、各季節の寒椿という植栽、そのものを好きになっていかなければ愛着などをわいてこない筈です。人間同様、この植栽を知ること、その物語を紡ぐ作業が「学習」と考えています。
寒椿は、A-areaだけでなく、B-areaの噴水の北側にも同様の獅子頭が植栽されています。公園緑調査のマップでは、大きな樹木のみの表示ですが、その樹下に獅子頭が以下のように植栽されています。
市役所の情報公開ルームと環境政策課で栗山公園の開設当時の施設設計(植栽、池設備など)の資料を探してみました。設立当時(運動センターは平成6年竣工ですが、公園自体はその前に計画が立案されています)の資料は、情報公開ルームにはなく、結果、環境政策課に探していただくことになりました。
その後、東京薬科大学の歴史資料を閲覧するために八王子の東京薬科大学のキャンパスにある「史料館」を訪ねました。栗山公園は、かつて、東京薬科大学の薬用植物園でした。その当時の薬用植物園に関わる記録を同大学の史料に探しました。
地域コミュニティづくりワーキンググループでの公園コミュニティプロジェクト「栗山公園編」での植栽調査の第一弾です。植栽調査は、基本的には、その植栽の開花時期が一番、わかりやすいので開花時期に実施していきますが、公園内の全域を把握するのは難しいために、公園は、以下のA~Fの6エリアに区分して、それぞれのエリアのどの場所にある植栽、樹木かを情報提供した上でその植栽についての解説をしていきます。
地域コミュニティづくりワーキンググループのテストケースでの公園プロジェクトとして開始された「栗山公園プロジェクト」についての第一期調査報告です。
1)栗山公園以前の土地利用、環境調査
*東京薬科大学の薬草園から、市管理の公園へ
東京薬科大学が1976年(昭和51年)に全学が八王子キャンパスに移転したタイミングでこの薬草園も売却されたようです。その詳細が市史編纂の会議での現代部会での活動として、同会議録に収録されていました。こちらより、同会議録をご覧いただけます。栗山公園に関する部分についての内容は以下の通りです。